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地域福祉の20年、あれこれ思ったことなどその4

昨晩は、半年ぶりで大切なお友だちとの飲み会。

ほぼ6時間くらい、飲んだりおしゃべりしたりで、あっという間に時間が過ぎました。

Aと言うと、周りのBやC、Dまで語らずども通じ合えるような友は珍しい。
Aと言えば、まずそのAの共通理解ができていないことに失望するケースが大半です。
初対面なら仕方ないけど、何度も何年も会っていて、一緒にいろんな仕事や活動をやってきていても、言葉の概念や情緒から躓くことが多く、そこが大きく気になると、つい「引きこもり」状態を作り出してしまいます。

というわけで、気の合った、唯一おしゃべりの機会が待ち遠しい友と、楽しいひと時を過ごしました。
ちなみにお料理はお好み焼きとたこ焼き。

20180107.jpg
二人で飲んだお酒の種類

頭が重苦しい今日、シャキッとしなきゃあ。
というわけで、また、話が続きます。

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(10年前の会話ですよ)
「来年、介護報酬が少し上がるらしいけど、まず誇りを持てずに、お金だけ上がったとしても、長続きしない。」

「でも訪問介護の現場見てると、これは看護師さんでも医療でもなんでも同じかもしれないけど、人材不足で、現場に踏みとどまっている人へのしわ寄せが多くなっている。」

「もうちょっとお金出すからこらえてね、って言われても、擦り切れてしまいそう。」

「このままだと、若い人はこないし、長くもたない。」

「いつまでもこの仕事をしていたい、誇りを持てる職業として、そう思える仕組みをつくっていかないと。」

「できるだけ長く、その専門分野で働けるように、一生懸命なその人が、燃え尽きてしまわないよう、地域社会あげて支えていく、それは、参画型の地域福祉の片方の切り口。」

「私たちは、自分たちの経験した小さな分野だけど、いろんな分野で体験してきた人たちと知恵を持ち寄って、それが啓発活動であったり、人材育成活動であったり、それをやっていく。」

「辞めたスタッフが言ってた、もう十分やった、って。」

「十分やったら、辞めれるんや。」

「自分は十分充足感や達成感あったとして、利用者さんは、この道を引き返せることないし、死ぬまで歩いて行くしかない。」

「十分やったって言うのは、自分にとってこれまで知らなかった、違う世界を、もう十分にさせてもらった、あと、自分は自分の世界に帰らせてもらうよ、と言うことかもしれない。」

「人それぞれの考え方があるもんね。」

「私たち利用者さんの家族でも親友でもない、ある意味仕方ないこと。」

「人生のある時期、仕事でたまたま出会った、利用者さんという人生の先輩とのある時間を、誠実に尽くさせていただく。」

「その時間は短いかもしれない、長いかもしれない。」

「さびしがったり、悲しむ必要はない。」

「誰がその後を引き継いだとしても、こんな会の仕組みや心意気を残していければ、一生懸命誠実に対応させていただくことに違いはない。」

「この仕事を、あと数年やれるだけ頑張って、それで一つの達成感持って、次のやりたい道に進もうって、割り切ったように言っていても、利用者さんと向かい合ったときに引き出されてくる、自分の中のこれまで気づかなかった優しさ、相手の人生を尊敬し、いつくしむ心。」

「それを思うと、ある時、パッと引けるのか、簡単に引くのは難しい。」

「信頼受けてる分、とてもうれしいに違いないけど、重荷になったら、またつらい。 」

「個人的な重荷にせず、個人的に何でも引き受けたり、背負ってしまわず、次々とバトンタッチしつつ、でも
長くやれる、できれば生涯の仕事とできる、そんなシステムや会をつくれたらいいのにね。」

「なかなか難しい。共鳴する仲間を見つけ出すって、ほんとに難しい。」


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NPO法人ワーカーズふろむさやま

Author:NPO法人ワーカーズふろむさやま
「住み続けたい街は私たちの手で」をミッションとして、大阪狭山市を拠点に、高齢者の介護相談や介護への社会的理解を促す活動を進めるNPOです。

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